曲書緩想文

もともと音楽の話ばっかりしてました。今はよくわかりません。

還暦の巨人、三度の襲来【DESCENDENTS "MILO GOES TO JAPAN TOUR 2023" 2023/10/07】

2023年10月7日、DESCENDENTSの来日ツアー「MILO GOES TO JAPAN TOUR 2023」4日目。



渋谷Spotify O-Eastは老いも若きもパンクロックファンの男女でごった返していた。
いや、どちらかというと老いの姿の方が多い気がする。何せバンドは今年で結成45周年。そりゃファンの高齢化も進むのである。

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【ポケモン剣盾英語プレイ記②】「兄として」のダンデが見える英語版

この記事は「ポケットモンスター ソード・シールド」を日本語で1度クリアしたプレイヤー(外国に行ったことのない日本人)が、2周目のストーリーを英語で追ってみたプレイをスクリーンショットで振り返った記録です。

・日本語版とのセリフの比較に驚くのが中心です

・英語や文化の学問的な考察はありません

・ストーリーのネタバレを含みます

 

前回はこちら

 

mommiagation.hatenablog.com

 

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【ポケモン剣盾英語プレイ記①】英語版ホップという別人格

この記事は「ポケットモンスター ソード・シールド」を日本語で1度クリアした人間(外国に行ったことのない日本人)が、2周目のストーリーを英語で追ってみたプレイをスクリーンショットで振り返った記録です。

・日本語版とのセリフの比較が中心です

・英語や文化の学問的な考察はありません

・ストーリーのネタバレを含みます

 

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【羅小黒戦記】弱き悪よ、そなたは美しい【感想】

2019年に日本で公開された中国の映画『羅小黒戦記』を年末から3回観てようやく感想のようなものをまとめました。これを書いている時点(もう年がとっくに明けて3月である)でそろそろ東京ではユジク阿佐ヶ谷でも再々々延長上映期間に入ってしまっていつ終わるかわからないのですが、全人類もう何回でも観るべきですね。

以下、物語の根幹に関わるネタバレしかしておりません。

映画 羅小黒戦記 (ロシャオヘイセンキ/THE LEGEND OF HEI) 公式サイト


はじめに

2019年は前半に『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』、暮れに『スターウォーズ:スカイウォーカーの夜明け』と、ハリウッドの大作SFバトル映画がぶっ放されておりました。いっぽうこの『羅小黒戦記』、キービジュアルやトレーラーの優しい絵に反して(いや、「反して」はいないか。この優しさと美しさももちろん大きな魅力ですね)実はそれらに負けず劣らずゴリゴリのバトルアクション満載でしたね。多人数の入り乱れる街中大規模戦闘はどことなくMARVELやDCコミックスの作品を彷彿とさせる熱さをもち、自ずとアメコミ的「ヒーローとヴィラン」の構図が引き立ちます。

 

さて、本作のヴィランであるフーシー(風息)というキャラ、主人公シャオヘイが人間たちの暮らす街で最初に出会う妖精です。
住処の森を追われてさまよう自分を襲う人間たちから守ってくれた*1うえに、クセはあるものの気の良い仲間とともに新たな居場所を提供してくれたフーシーは、シャオヘイにとって「刷り込み」ともいえる全幅の信頼を寄せる相手でした。
その正体は、人間に全面対立を決め込む過激派テロリスト。人間と共存する社会を築く妖精たちの「館」に気付かれる前にシャオヘイを味方に引き込み、彼の眠れる力を利用せんとする魂胆のもとに、シャオヘイへの接触を試みたのでした。
初見の折、そのヒーロー然とした出で立ちやシャオヘイに向ける厚意から、ピュアな視聴者諸兄もまんまとだまされたわけですね。え?最初から気付いてた?そうか……。

ただ、このフーシーは「敵」であり「悪事」を働きましたが、強大な「悪」そのものではありません。古今東西、悪役にもさまざまなタイプがありますが、フーシーは悪役としてなかなかに斬新でした。
それは、一言で言うなら、あまりにも「弱かった」。

しかし、だからこそこの作品はあんなに激しい戦闘描写があるなかで、徹底的に優しい作品たりえたのではないしょうか。

 

フーシーのヴィランとしての「弱さ」は、主に以下の3点が挙がります。
①戦闘能力がギリギリだった
②嘘をつけなかった
③自分が「悪」だと自覚してしまった

以下、個別に思ったことを書いてみます。


①戦闘能力がギリギリだった

いきなり現れて優しく手を差し伸べ、「一緒に暮らさないか」と誘ってくる。
勘の鋭い視聴者は最初の時点で「こんなに都合の良い味方ヅラ……怪しい……」と疑ってかかりそう(私は全く思わず、まんまとだまされていました)なものですが、それを簡単にさせてくれないのが、最初の夜が明けていきなり「最強の執行人」ムゲンが襲撃してくるシーンです。
フーシーたちとは対照的な冷徹な表情に、フーシーたちが四人がかりで戦ってもなお圧倒的な力。
「私の任務はお前たちの捕獲。説明ではない。」どう見てもこの人の方が悪役です。
まぁだいたいムゲンが強すぎるのが悪い(キュウ爺並の感想)のだけれど、それにしてもフーシーたちの苦戦ぶりがあまりに真に迫っている。いや、「真に迫る」じゃ演技してるみたいですね。君たち、普通にボコボコにされてないか
「序盤に強大な相手に遭遇してギリギリの敗走をする」という、ふつうは主人公側にしか与えられない無様な役回りをいきなり晒すものだから、視聴者も彼らにしっかりだまされてしまったような気がします。
その辺、トレーラーでもしっかり「味方のピンチ」感がうまく出るような見せ方がされていますね。

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「はじめは弱かった敵が後に強大な力を身につけて脅威となる」という物語類型は数多くあるし、あらすじだけ語ってしまえばこの物語もそれに則った形ではあります。
が、それにしてもフーシー一味は各々が主人公のような顔をしていた。それには最初の夜にたき火を囲むシーンがかなり大きな役目を果たしているんじゃないでしょうか。

あそこで「仲間」としてシャオヘイを迎え入れる宴には、何ら後ろ暗いものを感じさせませんでした。フーシーは頼れるリーダーだし、ロジュは気の良い兄ちゃん。テンフーも無口だけれど優しい大男ですね。シューファイだけはいまいち何を考えているかわかりにくいのですが、シャオヘイに聞こえないようロジュと話している会話が平和そのものであり、堅物でシャイなだけなのだと印象づけられます。良くも悪くも典型的な「主役チーム」のメンバーとしての性格付けがここで描かれ、そこから一夜明けて強敵の襲撃でピンチに陥る。この一連の「流れ」が、シャオヘイだけでなく視聴者をも簡単に信じさせる描き方として、すごくうまくできていたのではないでしょうか。
あとはだいたいムゲンが強すぎるのが悪い。

さて終盤、そのフーシーがシャオヘイから力を強奪し、彼の空間系結界能力「領界」を自分のものにしてムゲンと対峙します。
長い旅の中でシャオヘイと信頼関係を結び、彼を大切に思うようになったムゲン。自身の目的のためにシャオヘイを瀕死の状態に追い込んだフーシーにムゲンは怒りを爆発させ、「領界」を奪回すべく単身フーシー討伐に向かいました。
視聴者としては「おお、これは飛んで火に入る夏の虫。あのムゲンさまがフーシーに無残に叩きのめされてしまうのか!?」とハラハラするじゃないですか。
ムゲンさま、負けるな……!

 

……負け……るな……?

 

いや互角に戦うんかい!!

 

なんてこった……終盤の敵ボスの覚醒、主人公不在で怒りにまかせた師匠が突撃。どう見ても絶望的なフラグが立っているはずなのに……ムゲン師匠、わりと一人でなんとかできそうだぞ……。
ほらフーシーも「他人の霊域に入るとは……どういうことかわかっているだろうな!!」とか言ってますよ。めちゃくちゃ余裕なく。
フーシー君、「序盤に手も足も出なかった相手に対して、終盤に覚醒して強大な力を得てもなお圧倒できない」とか普通はそれ主人公のポジションだよ? 明らかにやばい状況なのに、想定以上にムゲンさんが強くてもう笑ってしまいますね。

それでも戦闘の最中に徐々に「領界」が馴染んでくるにつれ、その形勢も次第に傾いてきました。やっとのことでフーシーはムゲンを追い詰めます。本当にやっとだな。
この後復活したシャオヘイとムゲンのタッグによって一気に打ち破られてしまうわけですが(その二人のやりとりも涙腺にくる熱さですが、本稿からは話が逸れるのでおいておきましょう)、もうこの時点でフーシーは作品中で明確にヴィランと認識されているのが明らかなのにもかかわらず、この戦闘ではどこか彼がシャオヘイ側とは「対」のもう一人の主人公であるように感じてしまいました。もっとも、それは彼の境遇からそう思えたというわけではありません。シャオヘイから力を奪う前に彼が語った過去話は「昔は弱い存在ゆえに自分たちを崇めてきた人間が、次第に力をつけてきて自分たちから森を奪った。奪い返す」というだけの、正直なところテロリストの自己正当化に過ぎないのであまり感情移入しにくいものでした。
しかし、むちゃくちゃな事をしたフーシーをなんとなく憎みきれないのは、後述する彼らの葛藤もさることながら、この「あまり強くない=力を出し尽くして格上の相手に立ち向かう」姿の表現の仕方によるのだと思います。判官贔屓というか、どうしても劣勢な方を応援したくなってくるのは日本人的な心性なのでしょうか。やっぱりムゲンが悪いな。

 (追記)6月になると公式から英語字幕トレーラーがアップされました。めちゃくちゃどうでも良いことなんですがフーシーが“Stormend”、ロジュが“Bamboo”、テンフーが“Skytiger”と表記されているので「X-MENかな?」と思ってしまいますね。

ムゲンにいたっては“Infinity”ですから。すごいぞインフィニティ師匠。


《羅小黑戰記》電影版 終極預告 THE LEGEND OF HEI

②嘘をつけなかった

いや、何も知らないシャオヘイをだましていただろ! はい終了!!

 

まあ待っていただきたい。
確かに自作自演で(操った)人間にシャオヘイを「襲わせ」てこれを救い、自分たちの隠れ家に案内したフーシーです。その後はシャオヘイの心をつかむために美味い飯を振る舞い、仲間たちと他愛ない談笑をして心を開かせ、「今日からここがシャオヘイのおうちだ」と言って部屋と寝床を提供しました。シャオヘイ大満足。

自分たちの計画の事は何も語っていませんが、「嘘」はひとつもついていませんね。

他にももっと方法はあったと思うのですよ。あることないこと吹き込んでシャオヘイをその気にさせる(タイミング次第では信じないかもしれないけれど)とか、それこそ能力を使って洗脳することで自分たちに従わせるとか。何ならミン先生やガコ氏に対してしたように、問答無用で能力を奪い取ることも不可能ではなかったかもしれません。


でも、そうしなかった。


シャオヘイに自分の狙いについて話した後、「だから親切にしてくれたの?」と言われたフーシーは、否定も弁明もしなかった。いや、できなかった。
彼は人間を憎んでいたけれど、キュウ爺の言うように「嫌なやつではない」。仲間を大切にし、できる限り自分の正義を貫きたかったのでしょう。
シャオヘイとも本当の仲間になりたかったのだと思います。だから、それ以上嘘でとりつくろうことができず、手荒な方法に出るしかなかったのではないかと。

「館」の妖精たちのように人間と共存しようとする生き方が絶対的な善とは言えません。彼らの「正しさ」もまた相対的なものであり、タイミングと巡り合わせ次第ではシャオヘイはフーシーの計画に賛同していたかもしれません。
そのためにまず実際「自分たちを好きになってもらう」ための努力を惜しまなかったフーシーは、不器用でありつつも正直にシャオヘイ自体に向き合っていた悪役だといえます。


それは「悪」にしてはあまりにも弱く、あまりにも真摯な姿勢です。

 

それだけに、シャオヘイが自分の申し出を拒んだという想定外の事態に、ショックを隠しきれなかったのでしょう。仲間のロジュの制止も聞かず、シャオヘイから強引に力を奪うのは、少しも「周到な計画」ではなく、ただ「衝動」に駆られたようにも見えます。


③自分が「悪」だと自覚してしまった

「正義の反対はもうひとつの正義である」とは使い古された表現ですが、フーシーの一味は住処を追われた自分たち妖精の未来を救うという信念をもち、そのために人間と対立する道を選びました。

しかし理想は崇高でも、その手段は武力行使による市井の人々への無差別なテロリズムです。それゆえに彼らは「館」にマークされ、執行人ムゲンに追われることとなりました。
おまけにその過程で、フーシーは同胞たる妖精からも力尽くで能力を奪っている。それは「館」も知らなかった彼の危険性をさらに印象強くするものでした。いくら「嫌なやつではない」といっても、キュウ爺たちもそれは看過できないレベルです。

その行為のえげつなさと、彼らの人間性(人間じゃないな、「妖精性」……?)の優しさはどう見ても釣り合いません。それが魅力なんですが、あまりにも悲しい。

 

命の源「霊域」と直接関わる空間属性の能力を奪われれば、術者は死ぬ――
②で書いたような強硬手段をシャオヘイに対してはいきなりとらなかったのは、いくら目的のためとはいえ、何も知らない子供を殺せばもはや自分たちに正義はないということを、よく分かっていたからでしょう。
要するに「良い人」だったからこそ、彼は、彼らはスムーズに計画を成就できなかったのですね。

そもそもシャオヘイと出会った夜のあの歓迎会の様子、様々なことを隠していたにせよ、あれは嘘偽りのない「仲間たち」の結束の宴だったんじゃないかなと思います。緊張するシャオヘイに花火を見せるロジュ。香ばしい匂いに焼けた肉をシャオヘイへと差し出すテンフー。その様子を微笑みながら見るフーシーと微笑んではいないものの一緒になって見ているシューファイ。
あれが接待モードだったとはどうにも考えにくい。シャオヘイがもしも本当に彼らの仲間になっていれば、たとえ彼の言う「妖精の楽園」を実現していなかったとしても、毎日ああやって笑い合っていたのかもしれません。

「けど、そうはならなかった」

ようやく追い詰めたムゲンにとどめを刺そうとするフーシーが残念がっていたのは、シャオヘイが自分たちの思想に首肯してくれなかったこと以上に、結局は彼を「領界」を得るための器として犠牲にしてしまわざるを得なかったことのように見えます。そして、それはあの時点で彼らの正義が消滅し、ある意味での敗北が決定したことを意味しています。


それから仲間たちに関して。

別働隊の二人(パンフレットによると洗脳サイキッカーは「アクウ」、岩石アーマーは「イエツ」という名前なんですね。一度も呼ばれてねぇ!)はちょっとおいておきます。この作品であの二人だけが割とガチの悪党っぽいな。
ただ、少なくともおそらくロジュとテンフーは本当に心根の穏やかな妖精なのでしょう。
フーシーがシャオヘイの説得を無理と判断して拘束したときに、唯一ロジュは必死で止めようとしていました。そのロジュの手をシューファイが行かせまいとつかみ*2、ロジュの悲痛な叫びが響く中、「強奪」は強行されてしまいます。
このとき、傍観しているテンフーのカットが2秒ほど映りますが、なんともやりきれなさそうな、悲しい顔をしています。このテンフーというキャラ、ほとんど喋りません*3が、「本当ならやりたくないけれど、こうするより仕方がない」という覚悟と無念さのよく伝わるカットです。
一方、ロジュはテンフーのように割り切ることはできないのでしょう。フーシーがシャオヘイから力を奪い終わったのを見届けると、彼はシューファイの手を振りほどき、仲間たちに物も言わずに背を向けてどこかへ行ってしまいます。顔はよく映っていませんが、歯を食いしばって俯いているロジュは何を思っていたのでしょう。フーシーへの怒り? シャオヘイへの同情? それももちろんあると思います。でも、それ以上にその悔しそうな表情と動きからは、彼の無力感が伝わってきます。
死者ゼロとはいえ列車を脱線させる大事故を起した。禁忌とされるフーシーの「強奪」能力が「館」に把握されている。シャオヘイを取り戻そうと最強の執行人も自分たちを全力で追い始めた。いくらお人好しのロジュでも、状況が絶望的だとは飲み込めているはずです。これをひっくり返す起死回生の一打のためには、テンフーと同じく「こうするより仕方がない」ということは頭では理解できているのでしょう。それがわかっていたから、彼はフーシーを非難することができず、その場を飛び出すしかできなかった。

彼のその後の描写は何もありませんが、おそらく他の(元)仲間たちとともに「館」の妖精たちに逮捕されたのでしょう。ロジュはそのとき抵抗したのでしょうか。それは、わかりません。

 

さて、一方でフーシーもシューファイも、去って行くロジュに何も言いません。いくら「領界」を手に入れたとはいえ、相手はあまりにも強い。一人でも戦力(実際ロジュの「種霊」の探知能力があればまた状況は違ったんじゃないかというくらい有能だと思うんですが)が欠けるとマズイはずですが、フーシーは彼を黙って行かせてやりました。
たぶん、フーシーも本音のところではロジュと同じだったのでしょう。出来ることならシャオヘイの力を奪わずに済ませたかった。自分とロジュの立場が逆なら同じだったのかもしれない。シャオヘイに「強奪」を発動する直前に「すまない」と言った彼は、同じぐらい仲間であるロジュにもそう思っていたのかもしれません。
それでも、フーシーはこの一味の旗頭です。ここでためらえば自分だけでなく仲間全員の未来が潰え、これまでしてきたこともすべて無駄になる。憎まれてでもやるしかないのです。互いが相手を思いやる仲間だったからこそ、彼らは分解してしまった。そう考えると、ロジュが自分に何も言えなかったことも、袂を分かつ決断をしたこともよく分かるフーシーにとって、それを無言で許すことが、彼に対するせめてもの贖罪の証のように思えます。

(追記:その後フーシーが仲間たちに指示出しするシーンで、ロジュが距離をおきながらいるというツィートを散見しました。去ってはいないみたいです。申し訳ない、もう1回見てきます!!)

 

悪の結末

「ムゲン。俺は間違っているのかもしれない。だが今さら後戻りはできないんだ」

個人的に、主人公が倒さなくてはならない「悪役」には3種類のタイプがあると思います。
ひとつは自分の正しさへの確信をもち、主人公の信念と正面から対決するタイプ。もうひとつは善悪の区別がつかなくなり(もしくは最初から区別がない)、対話の不可能な破壊者となるタイプ。いわゆる「ラスボス」の多くはこのどちらかに属することが多いのではないでしょうか*4
フーシーは上記2タイプのどちらとも違います。彼は明らかにこの時点で自分自身が理想に描いた「正義」からは外れてしまったことを自覚しています。それでも、今さら折れて和解を申しでるわけにも、受け入れるわけにもいかない。この「後悔しながらも後にひけなくなった」悪役という第3のタイプは、作劇上どうしても敗北が宿命づけられている点からも悲劇を生み出しやすいように思えます。
書きながら『三国志』のさまざまな人物たちの事を思い出しました。史実の人物に絶対的な善も悪もないから「悪役」ではない人物ばかり挙げますが、呂布劉備諸葛亮も、最期は猛将でも聖人君子でも神算鬼謀の策略家でもない、「どこかで道を間違えた敗軍の将」になります。戦やら権力闘争やらの中で部下を失い、仲間を失い、若い時の輝きを失って、自分の歩んだ道に対する自問自答する様子。それでも残った信念の欠片を悲壮な決意の支えにして最期の戦いに臨む様子。どんな武将(とか軍師)にも時代を超えてファンがいるものですが、それは「いちばん輝いていた時期」のまぶしさよりも(いや人気の理由はそっちの方が大きいとは思いますが)、むしろ「終わり方」に彼らの人間としての「弱さ」が見えるから、かもしれません。

さてフーシーも、シャオヘイたちに敗れた後おとなしくお縄になって反省してめでたしめでたし……というわけには当然なりませんでした。彼も「もう戻れない」敗将です。故郷でもあるこの龍游の地から離れたくないと言い残し、彼は自らを大樹と化して永い眠りにつきます。一言、シャオヘイにだけ「ごめん」と言い添えて。
人間が憎くてたまらないのにその命を奪うことはずっとしなかったフーシー。それが同族の、しかもよりによって子供をだまし、傷つけた自分が許せなかったのでしょうか。「領界」を自分のものにしてもなお勝てなかったのは、シャオヘイの天性の素質以上に、その負い目が彼を無敵にしそこねたように思えます。
そして、その「弱さ」こそがこのキャラクターの、そしてこの作品の結末を忘れられないものにしているのかもしれません。

 

おわりに

シャオヘイ「フーシーは悪い人なの?」
ムゲン「私に聞かなくても、お前の中に答えがあるはずだ」

フーシーという敵役についてはもう、この最後の二人の会話だけでほとんど全て語り尽くせていますね。ここまでの8000字は何だったんだ。

 

『羅小黒戦記』の魅力はフーシー以外にも山ほどありますが、日本のオタクたちに刺さる要素ばかりなので、皆もっと絵を描いたり文章を書いたりしてほしいですね。とりあえずまだ公開されている限りはまた観にいきましょう。
では。

*1:後で洗脳能力の持ち主が一味に登場することから、これが関係ない人間を操ってシャオヘイを襲わせた自作自演であることが分かりますが。

*2:これだけでロジュが動けなくなっていることから、彼とシューファイとの実力差がさりげなくわかりますね

*3:ほぼ「おにく」と「おさけ」だけでセリフが完結した

*4:他に「互いを認め合いながら全力でぶつかって決着をつけようとする」タイプもあるかなと思ったものの、それは「悪役」というより「ライバル」なのでちょっと違うかもしれない。

As You Like It (後編)(the band apart @横浜F.A.D 2015,03/15)

 (前編はこちら)

mommiagation.hatenablog.com

 

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As You Like It (前編)(the band apart @横浜F.A.D 2015,03/15)

バンドでも何でも、長く続けていると、本人の意図するとせざるとを問わず様々なものが蓄積する。

1998年結成、活動17年を数えるthe band apart(以下バンアパ)の場合、それまでにリリースした100以上にのぼる楽曲の中で自ずと決まってくる。定番化したもの、あるいは久しく演ることのないものが。

そうやって何度もライブを重ねていくうちに、良かれ悪しかれ自分たちのやり方が「型」として定まっていく。

 

それは、ファンも同じなのかもしれない。

 

 

バンアパは7枚目のアルバム"謎のオープンワールド"を1月にリリース。さて3月から始まるツアーではもちろんセットリストの中心を新譜の曲が占めるだろうと予想されていた。

ところがツアー開始の2日前、エンジニアの速水直樹がメンバーの様子をこう映している。

新譜のレコ発にむくりと頭をもたげる、暫く眠っていた過去曲。高まる期待の中、新旧ごちゃ混ぜの「謎のツアー」が始まる─────

 

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未来系チュー二ングアップ(the band apart @千葉LOOK 2015, 02/21)

新宿から総武線に乗りっぱなしで1時間少し。首都圏の主要ライブハウスとしては東の果てに位置する、千葉LOOK

その狭苦しい室内の最深部にある小さなトイレで用を足していると、不意に背後から尋常ならざる巨大な(オーラ的にというよりどっちかというと物理的に)気配を感じる。

振り返ると、そこにはよく知る大男が順番待ちをしていた。

「よく知る」といっても知り合いではない。

the band apart(以下バンアパ)の荒井岳史だ。

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