不気味の谷の向こう側に見えたのは(hide "子 ギャル")
「もちろん彼が今、生きていたら、どんな音楽を作っていたかはわからないんですよ。だけどその答えというのは、それぞれの受け手の心のなかにあればいいんじゃないかと思う。だからもう、単純に楽しんで欲しいんです」
(I.N.A : "子 ギャル"ライナーノーツより)
hideの「最後の新曲」と銘打たれた"子 ギャル"がリリースされた。
奇跡の新曲リリース!hide生誕50周年アルバム「子 ギャル」特設サイト
以下、この曲の概要を引っ張ると、
1998年、hideのソロアルバム"Ja,zoo"制作のために作られた曲のなかに、この曲の原型があった。
メロディは出来ている、歌詞も出来ている、ただhideの歌が録音される前に本人が不慮の死を遂げてしまった。そのため、"Ja,zoo"にも収録されず、お蔵入りとなった曲だ。
ただ、hideの他界後に行われたツアーでは、ベースのCHIROLYNがボーカルをとる形で披露されている。
hide 未発表曲 "コギャル" - YouTube
この「幻の曲」が、ヤマハのVOCALOID技術を使い、生前のhideの歌声を切り貼りしてボーカル・トラックを吹き込まれ完成した。
その技術の結晶を指して、「奇跡の新曲」とふれこまれている。
以上が検索すれば出てくる本作の概要なのだけれど、その第一報を聞いたときには「まーた故人を冒涜して一儲けか」と思っていた。ボーカロイドは所詮ボーカロイド、どうしたって「コレジャナイ感」がついて回るもんだろう、と。
それだけに、前もって公開されていたPVを見た(聴いた)ときには、その完成度の高さに本当に驚いた。
生前のhide本人の声と何ら変わることのない、完璧と言ってもいいほどの調声(ボカロ界隈の用語だと「調教」といえば良いのか)。
ヤマハのスタッフと、I.N.Aの「音源完成に至るまでに、丸2年という時間が費やされた*1」という、血のにじむような努力にも納得できる。
実験的な根拠には乏しいため異論や批判も多いが、ロボットが人間に近づき、ほぼ忠実一歩手前になったときに感じられるどうしようもない不快感や嫌悪感を指す。
少なくとも僕の中では、本作はこの谷を越えることに成功しているように感じられた。
もちろんヘッドフォンをして集中しながら聴けば、
- ところどころに機械っぽい部分がある。
- 継ぎ目がぎこちないところがある。
- 全体的に声量が小さめになって、張りには欠けている。
など難癖をつけようと思えばつけることもできる。
しかし、そういった欠点が気にならないくらいに作り込まれたボーカルは、ちゃんと「hideっぽいボカロとして*3」ではなく「hideとして」耳に入ってくる。
生前のhideの歌自体、そもそもエフェクトを用いて加工したものが多い(つまり、もともと「機械っぽい」歌声だった)ので、生声からいくらか遠ざかったところで許容範囲を出ない、というのもある。
充分に「hideの曲」として違和感がない。
ないからこそ、どこか物足りなさや喪失感のようなものを感じてしまった。
なぜか。
hideというミュージシャンは、誰よりもエンターテイナーだった。
ファン(どころかスタッフやメンバーすら)の予想も期待も裏切って、時に驚きを、時に戸惑いを届けた。今のようにインターネットが整備されていなくとも、賛否両論大歓迎の議論を巻き起こしながら、多くの音楽ファンの心を掴んできた。
「奇想天外」な人物だった。
今回"子 ギャル"を聴いた時の驚きは、その再現性の高さ、ボーカロイド技術の精度に対する驚きであって、往年のような「どんな方向から攻めてくるんだ!?」という驚きではない。
それはそうである。今回のコンセプトはあくまで生前のhideの肉声の「再現」だからだ。それは、hideの作品でありながらhideの作品ではない。
もちろん「ボーカロイドが人間に近い」ということ自体が「新しさ」として驚かされることもある。
(最近だとこれ↓とか)
ニコニコ動画で見る初音ミクや鏡音リンやMEIKOなどの「人に近い調教」と、今回のhideのボーカロイドのそれでは、明らかに後者の方が完成度が高い(プロの作品とか2年という時間とかもあるし)。
それでも、前者に大きな衝撃を受けるのは、僕らの誰も、まだそこまでリアルなミクを見たことがないからだと思う。
リアル(本物)のhideを知っている人間が、それに近いボーカロイドに触れるのとは条件が違っている。
それは、「あぁ、まさに俺の知ってるhideだ」という安心感のようなものかもしれない。
それは良いことだ。何も皮肉はない。
しかし、それは生前のhideに味わわされた「誰も知らない」「聴いたこともない」という感じとは完全に相反してしまう。
16年の歳月を経て僕らは、「2014年のhide」ではなく、「1998年のhide」と再会した。その奇跡的な再会は、もう「その先」がないということを含意している。
僕らの生きる2014年に、hideはいないのだ。
そんな当たり前の事実を、ただ思い知らされてしまったような悲しみが、この明るいナンバーに透けて聴こえる。