私がオジさんになっても(荒井岳史@渋谷CLUB QUATTRO 2014,1/27)
Hawaiian 6の安野勇太・セカイイチの岩崎慧・そしてthe band apart(以下バンアパ)の荒井岳史の3人で行われた弾き語りライブへ。
月曜の夜で、客は少なめ。クラブクアトロのフロアにイスが並べられているのを初めて見た(弾き語りオンリーのライブ自体が初めての気がするので、軽くカルチャーショックだった)が、完全には埋まっていなかった。会社帰りとおぼしきスーツ姿の客もちらほら。
トップバッターの岩崎慧がボイスパーカッションやエフェクターのループを駆使して、1人でありながら多層的な音楽を奏でる(後の荒井と安野が完全にギター1本だけだったのと対照的で、これもおもしろかった)。知名度はHW6やバンアパに劣るセカイイチだが、そのキャリアは長く、岩崎は最年少ながら先輩2人に負けない歌と語りを聴かせてくれた。
さすがに簡素なアコースティックセットで、転換の時間は5分程度。こうしてみるといろいろと、アコースティックライブのお約束というかルールのようなものがあるのだなと実感する。普段ロックロックしているライブばかり行っていた僕はどうノッたらいいのかに戸惑う。
というか、出演者も全員ロック畑の人間なので、「客があまり動かないライブ」に少し違和感を覚えているようだ。岩崎も荒井も、
「皆さん、緊張してません?」「月曜の仕事モードがまだ解けていないみたいで、すみません」
と苦笑いする場面があった。
さて、転換後は荒井の登場。
「こんばんは。ザ・バンドアパートというバンドで歌っています荒井岳史です。今日はよろしくお願いします!」
いつもの、やや早口の大きな声で言うと、多くを語る前に挨拶代わりの1曲目が。
ディズニーのカバーだが、1stアルバムより以前からの「裏代表曲」"When You Wish Upon A Star(星に願いを)"で幕を開ける。
(10年以上前、1stアルバムリリース当時のライブ映像)
11.When You Wish Upon A Star - the band apart ...
この日出ていた3人の中で、35歳の荒井は最年長*1。20代のころから「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ばれるバンアパは、当時から同年代はもちろん、上の世代のミュージシャンからも多くの尊敬を集めてきた。
そのバンアパのメンバーも気づけば30代後半になる。今や、彼らに憧れてバンドを始めた若者たちが、同じステージに立つ時代だ。
この日の荒井の喋りは、そんな自分の年齢を噛みしめつつ、ネタにするものが多かった。
「まぁなんて言うか……結構上の人ともやりますけど、こうやって下からどんどん出てくると、俺ちょっとおじさんになったんだと思っちゃいますよね。いやまだ若いつもりではいるんですけど、さすがに年取ってきますね。ほら、おじさんがこんなカーテンみたいな柄の服着ててもねぇ*2。」
「えー、弾き語りだと何かたくさん喋らないといけないから大変ですね……みなさんどんなお正月を過ごしましたか*3? 俺はずっと体調崩してました。もう何食っても下すみたいな。だから……いやもう次の曲いきましょう。だってねぇ、誰がお金払って35歳のおじさんがずっと下痢してた話なんて聞きたいんだと。」
「20代の頃はこんなの(弾き語りで1人延々としゃべること)恥ずかしくてできなかったんですが、年食ってくるともう何も怖くないですね。もういくら滑っても大丈夫だと。」
確かに、上に貼った動画の後半にも荒井のMCが映っているが、若い頃の荒井は口下手で、MC中も視線が泳ぎながら不器用に話すという印象があった(そのぶん原のふてぶてしい喋りがいっそう際立っていたのだが)。
20代のバンアパは、各自のテクニカルな演奏と原の強烈なキャラクターが主な人気の要因だった(それだけが「魅力」だったわけではなく)。今もそれは色褪せていないが、経験を積み、6枚のアルバムを出してきた彼らは、そのたびに新しい武器を手に入れてきた。
4thアルバム"Adge Of Penguin"をリリースしたあたり、つまり彼らが30歳に入ってきたころから、荒井の「歌」が武器になってきたように思える。このアルバムからアコースティックギターが入る曲が出てきたことにもそれは現れている。
そして、数多くのバンドとの共演を通しながら、同じ頃に荒井は「歌」以外にもライブにおいて落ち着いて全体を見渡し、時に自分から笑いを取りに行く余裕を持ち始めた。相変わらずMCは緊張気味の早口だが、そこには「原頼み」でなく自分で空気をコントロールする自信が見える。
バンアパの、荒井の「おじさん化」は、バンドに多層的な味わいを生み出したのではないだろうか。
ライブ中盤には、バンアパの曲である"forget me not pt.2"を歌う。もとは8ビートのファストチューンだった"forget me nots"*4のアコースティック・セルフカバーだ。
この曲が収録されている"2012.ep"は、バンド初の日本語詞による作品だった。以来、2013年のアルバム"街の14景"と、その後に出したコンピレーションアルバム参加曲や会場限定シングルを含め、バンアパの曲はすべて日本語詞になっている("2012. ep"以前は英語詞一筋だった)。
「もともとは英語で歌うことが多かったんですよ。俺も英語の発音を習ったりしながら。ザ・バンドアパートというバンドも……あ、ちゃんと発音すると"ダ・ベァンドァパートゥ"といいますが(会場笑)、それも元は英語詞で歌っていて。ただ、日本語で歌うようになったきっかけは、あの震災の後にHINATABOCCO*5という活動で弾き語りライブなんかをさせてもらったんですけれど、そのときに『あ、こういう場合は英語より日本語の方が伝わりやすいんじゃないか』と思いまして。そこで日本語で歌う楽しさに目覚めたっていうか。まあ英語がダメだとか今後二度と英語でやらないとかそんなつもりはないんですけど。」
そう言うと、バンアパのナンバー"夜の向こうへ"をアコースティックアレンジして歌う。この曲では基本的にはバンドでの自分のギターパートを弾きながらの歌なのだが、Bメロあたりではフレーズの一部がもう一本のギター、川崎のパートも混ぜてある形になっていた。バンアパの曲やライブで、荒井の歌いながらの複雑なバッキングは原や川崎のように目立ちはしないものの、とんでもなく技量が高い。
終盤には物販に並ぶソロCD*6と、新たに用意したソロTシャツの宣伝も忘れずに行う。元ラガーマンの荒井らしい、Champion ProductsのようなフットボールデザインのTシャツだ(買ってこなかったので画像は無し)。
「真面目な歌を歌う時に限ってしょうもないことばっかり言っちゃう」とまたもやリラックスモードになりながらも、アルバムを締める曲の"虹"を、そして最後はまた10年以上の付き合いがあるバンアパの曲"K and his bike"のセルフカバー"Kと彼の自転車"を演奏する。
「日本語でやっていく」こと自体は上記のHINATABOCCOでの経験を通して決まっていったことだが、荒井にとって「最初に日本語で歌う楽しさを知った」のはこの曲をリアレンジしていたときだという。
「2011年にうちのメンバー(原)が病気で倒れて、残った3人が埋め合わせでアコースティックでやろうって話になったんですけど、この曲(K and ~)を英語でアコースティックにしてると、どうもメロディにノらないんですよ。それでもう一人(木暮)に相談して、二人であれこれしているうちに、『あれっ、これって楽しいんじゃない?』と思ったのがきっかけになっています。」
原曲から大きく変えた箇所はないのに、詞から脳裏に浮かぶ風景はよりいっそうノスタルジックに、少年時代の夏の日を思い起こさせる。
それは、10余年の時を重ねて成長した荒井の歌が持つ力か、それとも聴き手である僕が日本人であるがゆえに引き出される、日本語のイメージ喚起力か。
おそらくその両方だと思う。
これからますます、バンアパのフォロワーは増えてくるだろう。
そのとき、35歳の、40歳の「おじさん」は、どこまで新しい魅力を身につけているだろうか。
the band apartの2014年への期待がふくらむ弾き語りの舞台だった。
(まだ今年バンアパのライブを見れる日程がないのだけれど)
SET LIST
1. When You Wish Upon A Star
2. 写真
3. 駆け抜ける蒼
4. forget me not pt.2
5. 夜の向こうへ
6. 虹
7. Kと彼の自転車