曲書緩想文

もともと音楽の話ばっかりしてました。今はよくわかりません。

ロックフェスのジレンマ

半年前の話でアレなのだが、2013年の7月に、岩手県種山ヶ原高原で行われたKESEN ROCK FESTIVALに行った。
 
東日本大震災を経て再び東北の地によみがえった音楽の祭典は、すべてが地元の人間による手作りだった。震災の傷跡を無視することはできないが、押しつけがましい「感動の演出」があったわけでもなく、ここで音楽を楽しむことができる喜びを分け合う、そんな空気が心地よかった。
僕は自分の好きなバンドが出ているときは前で盛り上がり、あまり知らないバンドが出ているときは後ろの方で飲食しながら音に揺れていた。
今思い返しても、あの大げさな仕掛けのない素朴な雰囲気と、国内バンドの錚々たるメンツが喜んで手作りの雰囲気に入り込む感覚は、掛け値なしに良いものだったと思う。
 
しかし。

 

終演後の自分を顧みると、結構な勢いでテンションが下がっていたような気がする。
原因はフェスへの名残惜しさでも、雨の中1時間バスを待つ身体的キツさでもない(それは良い思い出になっている)。
 
トリの10-FEETのステージに、なんとなく違和感を覚えたことだ。
 
あの違和感の正体は何だったのだろうかと考えてみるも、うまく言葉にできない感じがしていた。
 
10-FEETが嫌いなわけではない。
トリにふさわしい堂々たる演奏で、MCもケセンに、東北に対する愛が伝わる。
彼らのファンも、おそらくよく知らない観客も一緒に拳を掲げ、輪になり、肩を組み、会場全体が盛り上がる雰囲気が形作られていた。
 
ここで、はたと思い当たる。
この「会場全体が盛り上がる雰囲気」が、曲者だった。
会場全体が「盛り上がっていた」と表現せずに「盛り上がる雰囲気が形作られていた」と回りくどい書き方をしたのは、
  • 被災地での開催で、
  • ミュージシャンたちにも愛されるフェスで、
  • 他の全てのパフォーマンスが終わり会場の全員が見守る大トリ。
これだけお膳立てされると、状況的に盛り上がることを「求められている」ような気がしたからだ。
どうしようもなく天の邪鬼な見方をしてしまうと、トリ前のthe band apartまでは「素朴で自然体」だったフェスが、にわかに芝居がかった「感動の舞台」に変わったのを感じ、その「舞台」を客も含めた会場全体で演出している中に、僕が乗りきれなかったというのが、フェスの最後にひとりだけ残念なテンションになってしまった所以だったと考えている。
 
 
とはいえ、これは単に僕が「みんなと一緒なんかゴメンだね」という協調性のないコミュ障だから起きたことなのかもしれない、というのが恥ずかしくてしばらく胸の内にしまっておくに留めていた。
だが、数日前にまとめサイトを見ていたら

大学生ってフジロックとかサマソニとかに行くことが義務になってるわけ?

というスレのまとめが目に入った。
いくつかの書き込みを見ているうちに、「この違和感は自分だけのことではないのかもしれない」と思い、自らの恥をほじくり返すに至る。
 
 
僕自身はフェスに行くようになったのはここ2年くらいで、30手前にして初めてフェスに行き始めるという完全に乗り遅れた感のある出だしだ。
だから、僕などがフェスに対する諸々の違和感を覚えたとしても、それはそもそも「年齢的にフェスのメイン層ではない」というひと言で結論がついていいのかもしれない。
うん、たぶんそうだ。
よし、ではこの記事はこれで終わりにしよう。
 
と言ってしまうと、せっかくPC立ち上げて久しぶりにブログを開いたのに自分の齢を噛み締めただけみたいでシャクだから、少しだけ屁理屈をこねてみる。
 
 
まず、パッと思いつく限りのフェスのメリット・デメリットを挙げると、
【メリット】
  1. 多くのバンドを見ることが出来る
  2. 前列で盛り上がっても後列で座っても楽しめる
  3. 飲食ブースなどが豊富で音楽以外にも楽しむ方法が豊富
  4. 解放感から客同士が友達になりやすい(らしい。真偽は不明)
 
【デメリット】
  1. チケット代が高い
  2. 郊外型フェスはさらに交通費が高い(チケット代を上回ることもザラ)
  3. 1バンドあたりの持ち時間が短い
  4. 曲目が「定番の盛り上がりやすい曲」に偏りがち
 
特にデメリットの4番目に挙げた項目は3番目の「時間が短い」ということとも関連しているが、前のエントリでも紹介した「冬フェスCOUNTDOWN JAPANが一人勝ち」という記事で以下のように指摘されている。
音楽的な方向性においても「ライヴで盛り上がりやすい曲」がもてはやされることで、ロックバンドやアイドルの楽曲の傾向が一面的になっているような状況もある。

 

「楽曲の傾向が一面的」というのは、言い換えると良くも悪くも「フェス用の定番セットリスト」が出来ていくということでもある。

バンドごとの個性はあれど、なんとなくフェスにおける「平均的なロックバンドのセットリスト」のイメージは、

  • サビでファンが合唱できる曲
  • 定番となっている(客の)振り付けやレスポンスがある曲
  • 高速モッシュ・ダイブ曲
  • 中盤もしくは終盤にバラードを1曲くらい
  • 最後は盛り上がって締める

おおむねこんな感じが多い気がする(このうちのどれかがないバンドもあるだろうけれど)。

仮に持ち時間40分の出番があったとして、1曲4~5分の曲を(MC込みで)演奏するとしたら7曲か8曲といったところ。曲数が少ない分、「遊び」というか冒険的なことはしにくい。

そして、このセットリストの内訳はおそらく本人たちが決める前に、ある程度主催者側に枠組みを決められている。「こういう曲をやって欲しくて招聘している」という意図の下に。

定番外の曲を演奏して意表を突いた場合、そのバンドのワンマンに来るようなファンは喜ぶが、初めて見るような客はあまり好反応を示してくれないだろう。そうなると、フェスとしての盛り上がりにも影響し、「人選ミス」として次は呼ばれない。

要するに、フェスの場がバンドのために用意されているというより、バンドがフェスという場を作るための1つの歯車として機能することを求められている以上、期待されたセットリストを用意しないことはそのフェスのキャストとしての「暗黙のルール」に外れることになる。

 

1日を通して行われるフェスそれ自体がひとつの物語性を持つ。とすると、客を盛り上げるにせよ、一息落ち着かせるにせよ、バンドにはそのフェスの中で与えられた「役割」がある。

しかし、「役割」が与えられているのはバンドだけではない。観客の側も、その場にふさわしい反応をすることが求められているのではないか。

 

上のスレまとめにあった、こんな書き込みに考えさせられる。

15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2014/01/11(土) 12:09:20.74 ID:oM/IPHFD0

一回行ったけどつまんねぇよな

音楽を聴く時に暴れないと楽しめない奴しかいない

 

18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2014/01/11(土) 12:11:50.05 id:haoUGazh0

>>15

音楽を聞いて暴れる←まったく理解できん何故暴れるのか、なぜトランスするのか??

 

19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2014/01/11(土) 12:15:59.34 ID:oM/IPHFD0

>>18

一緒に行った友人が言うには、フェスは出番30分から45分くらいしかないからそのバンドの

世界に入り込めない。だから暴れてテンションあげないと自分がしらけちゃうんだよね

と言っていた。これは割りと真理だと思う。

フェスの短い出番で心を熱くさせるような演奏やMCをするバンドもほとんどいないし。

 
「暴れてテンションあげないと自分がしらけちゃう」という言葉に集約されているのは、バンド自体の持つ客を動かす力が分散してしまうぶん、客の方も積極的に「楽しむ努力」をしなければならない、ということだ。
別に「盛り上がれよ」と強制されるわけではない。しかし、バンドをよく知っている客もよく知らない客も一緒になって楽しむというのは、自然になされることではない。
そこには、「会場全体が盛り上がる」ことを目的とした、人為的な作用が加わる。
単純にイメージすると、
バンドのパフォーマンス
   ↓
ファンのレスポンス(合唱・かけ声・手拍子・踊りなど)
   ↓
初めて見る非ファンが真似をする
という形で会場全体を巻き込んでいく、というのがフェスの理想の盛り上がり方か。
 
「TOTALFATのライブでは"Summer Frequence"のサビで観客が一斉にタオルを投げる」とか、
マキシマムザホルモンのライブでは曲調に合わせて客のヘッドバンキングの勢いが変わる」とか、
そのバンドのファンの間では定番となっている振り付け的なレスポンスは、「ファン→非ファンへの伝染」を作りやすい(だからそういった曲が「フェス用の定番」になり、外せなくなる)。
 
問題は、その歯車がうまく噛み合わない場合、つまり、見ている側が「素」になってしまう場合だ。
そうなると、バンドとファンが盛り上がっている様を外から眺めることになる。
「みんなが盛り上がっている中で自分だけ素になる」という感覚は、盛り上がりに比例して疎外感を覚えさせる。それは、団結や結束や一体感が「そうでないもの」を排除することでより強固になる性質を持つことが原因で、反動的なものだ。
子供のころから何度かそういう場面に遭遇すると、身体実感としてわかる。
 
 
 
僕個人にとって、フェスに行って一番よかったのは「出会い」があったということだ。
「出会い」と言っても僕のような人見知りの半引きこもり野郎に「フェス友達」とかましてやフェスをきっかけにした男女のアレはない。要するに今まで見たことのないライブを多く見ることが出来た、ということだ。
2012年はRocks TokyoでWiennersや宮本浩次エレファントカシマシ)がこんなに格好いいのか!と驚いたり(エレカシは15年くらい前にミュージックステーションで見たくらいだった)、新木場COASTのNeutral Nationで京都のjizueを見なければ知る機会もそうなかっただろう。
 
名前も知らなかったバンドや、
名前は知っていても曲をよく知らなかったバンドや、
知っているけれどワンマンライブを見に行くほどでもないと思っていたバンドを、
フェスをきっかけに新たに気に入ったという体験。これは大事だ。
フェスの「ごった煮感」はオムニバスアルバムを何気なく聴いてみて「おっ、これは!」と思う感覚に近い。
 
 
さて、この先は二つのルートに分かれる。
  1. 「いろんなバンドに出会えるフェスって楽しい! これからもフェスに行く!」ルート
  2. 「フェスで知ったこのバンドすごくいいな…音源買おう。今度ワンマンも行きたいな。」ルート
僕のたどった道は、後者だった。
 
これはどちらが正しい楽しみ方だという話ではないのだが、バンドを見に行くことを目的にすると、セットリストは「入門用」にならざるを得ない。限界があるのだ。
そこでバンドから目を転じて、「フェスそのもの」を目的とするのか。それとも、フェスから離れて、個別のバンドに興味を移すのか。
オチが特に見つからないまま、書く前まではたいして考えてもいない悩みが増えた。
ううむ。